走ること、それがこんなに楽しいこととは本当に知らなかった。
ジムで走り始めた頃、色々なことに気づき始めた。
驚いたのは自分の体力。
1週間も立たないうちに、歩くところから少しずつペースをあげていって、最後のクールダウンまでで1時間くらいやっていることができるようになった。
きっと普段から運動されている方はあんまりすごいことのように思われないかもしれませんが、今まで本当に(お恥ずかしながら)ワークアウトと言った類いのものに携わってこなかった私にとっては驚き以外の何ものでもなかった。
走りながら何度も「今まで本当に体力を使ってこなかったなあ、エネルギーがあるのにいかに使わないかという抑える方に使っていて、上手く活用出来てなかったんじゃないか」ということに気づかされた。普段の生活の中でエネルギーを上手く発散させることができていなかったのかもしれないと。
でも、もしかしたら今になってやっとこの身体やエネルギーを使えるようになったのかもしれないとも思う。私は中学校の時に虫垂炎の手遅れであわやこの世とお別れか…という大変なことになったことがある。多分そのころからなのだ、私と身体が何となく一緒でなくなってしまったのは。私のお腹の一部だけ何となく自分のものではないような、あまり触れたくないようなそんな感じをこのエサレンに出会うまでずっと持っていた。正確にはエサレンに出会うまでそんなことさえ気づかなかったのかもしれない。
そしてこの何年もの間、ペリーのディープボディワークやその他の色々なワークの中で手術のトラウマ(マッサージ中にメスを身体に入れられる瞬間を思い出したこともある)や傷の周りの固まった組織に働きかけてきた。私の色々な身体の癖もそのことに起因することが多いので、ボディワーカーとしては興味を持ってみてきたように思う。
もうそろそろ出るものも少なくなったかなあと思っていたのだけれど、まだまだ甘かった(笑)。5月にエサレン研究所で行われたディープボディワークとCFRのクラスに参加をした時に、分かってしまったのだ。なぜ私が虫垂炎になったのかというその理由を。
CFRのセッションを受けている時にプラクティショナーが私の頸椎に触れていると、今まで無理やり開こうとしてもなかなか開かなかった脚が簡単にそれも自然にふわーっと外に開いていった。そしてそのセッションの最後に答えはやってきたのだった。
こうやって何かが分かる時、本当に思いもしないようなところから答えがやってくる。そしてそれは疑う余地のない位、はっきりとした体験として味わわされる。今までも色々と自分なりになぜこんな風になったのかなと分析はしていたけれど、答えは全く違うところにあった。そんなことだったのかと分かると同時にその当時の自分がとても愛おしくなった。
そしてその後は日本で行われたペリーのディープボディワークのワークショップ。テーマは腰筋。そう、まさになるべくして用意されたような流れだった。このときのワークショップでの私の食欲は異常なものだった(汗)。
確かに女神山ライフセンターのお食事はいつもおいしくて、たくさん食べてしまうのだけれど、何かいつもとは様子が違っていた。何かが起こり始めていたのかもしれない。
今から振り返ってみると、こうやって色々な点が繋がって、走るということになったのだなあと言うことが分かる。やっと、本当に長い人生かけてやっと、本当にお腹からの力、本来の自分の力が少しずつ使えるようになってきたのかもしれない。こんなに時間がかかってしまったけれど、きっとこれだけの時間が必要だったのだとも思う。
そして、走っている時、何度も「生きてる〜!」ということを感じて胸が熱くなり涙が出てくることがある。身体から沸き上がる生きている実感。そう、レオニドのクラニオのワークショップの時にも感じたあの感じだ。身体や臓器が生きていることを震えながら教えてくれるあの感じ。歓喜に満ちたあの何とも言えない感じ。
私は今になってやっと「生きる」ということをし始めているのかもしれない。走ることでそれをより実感しているのかもしれない。