マヤ暦が終わりを告げた次の日、日の出を見に行った。5時に起きて、暗闇をオレンジの2台の車が列を成して走る。ライトを消すと周りがほとんど見えないくらいだ。
断崖絶壁のごつごつした岩の上で私達はそれぞれの場所を決め、日の出を待つ。暗闇の持つある種の静けさが、私をも静かにさせる。この世とあの世の境界線がとても曖昧な時間。 曇り空でなかなかその姿を見せてくれなかった太陽が、そろそろその姿を現すかのように、空がオレンジ色に染まってきた。 太陽が地上に現れる前の、あの何ともいえない高揚感に襲われると意味もなく涙が流れそうになる。そういった躍動を自分の中に感じるとき、私の中の野生のいきものとしてのいのちが動き出すような気がする。あのワクワク感は一体どういうものなんだろう・・・。同じようなことを感じて、朝になると生き物たちがそれぞれの歌を歌い出すのだろうか・・・。(KALANIの周りは夜になるとピコピコという蛙の大合唱、朝は鳥たちの鳴き声で夜が明ける) 夜明けというのは私達に再び生きるチャンスを与えてくれる、そんな感じなのだろうか。 太陽に照らされて、ただただその温かさを体いっぱいに感じるとき、こころもその温かさで満たされ、幸せに包まれる。見渡すと、周りの皆も美しい太陽の光に包まれていた。 日の出を待っているときに、腰を下ろした岩に激しいほどの荒々しい波がぶつかり、地面が何度か揺れる。その計り知れないパワーに驚き、畏れ、昔の人がその中に神々しいものを見出したのが、私にもわかる。私達の周りにある太陽や海、そして風、大地、それぞれの偉大な力を感じつつ、私たち人間の中にもそのような可能性が眠っているような・・・そんな感じがした。 その後、州立公園の中をただ黙って歩き回る。ある溶岩の岩の上で寝そべってみたくなり、大の字になって寝てみる。ごつごつして硬い岩のはずなのに、なぜか体は優しく包まれている。 こうやって自然の中に寝転ぶたびに、自分の背中が母なる地球に支えられていることを思い出す。芝生や砂浜、岩の上、ただ寝転ぶだけなのに背中に感じるその感覚は、どれだけ心地のいいベッドでも味わえない感覚だ。身を委ねることの気持ちよさ。そして大きな安心感。 迷ったらいつもここから始めたらいいのだ・・・何度倒れてもまたここ、この地に眠り、身を委ね、立ち上がったらいいのだ・・・そんな感じがした。
by bodyuniversal
| 2011-11-26 16:01
| Hawaii
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