ヴィパッサナー瞑想 ④

b0101106_18531090.jpg4日目が始まった。この日から本格的なヴィパッサナー瞑想が始まる。この瞑想法がどのようなものか説明をしていなかったので、ここでコースの手引きより引用させてもらいます。

「ヴィパッサナー」とは、物事をあるがままに見ることを意味します。それは自分を見つめることによる自己浄化の方法です。瞑想は、まず精神を集中するために自然な息を観察することから始めます。意識を鋭く研ぎ澄ませ、つぎに心と体に起こっている変化を観察していきます。この自己観察を通じて、無常(すべてのものはうつり変わるということ)、苦悩、無我(不変の自我という存在がないこと)という心理を体験します。体験を通して心理を知ることが自己浄化に繋がります。この瞑想法はすべての人が直面する問題への実際的で実践的な答えであり、「宗教」ではありません。宗教宗派や人種、段階の違いに関わりなく、いつどこでも修行することができ、だれもが等しく役立てることができます。

そう、この瞑想法を午後からスタートするというその日に事は起こった。その兆候は前日から出ていたのだけれど、大きくなったのはこの4日目。講和にも1日目と4日目に帰りたくなるようなピークがあるとあったけれど、まさにそのパターンが私にもやってきた。
もうすっかりなくなって、大丈夫だと思っていたことが、再び起こりだしたのだ。
昔々、私が高校生のときに悩まされたそのこと。そのときも中々勉強に集中できなかったけれど、今度は瞑想に集中できないという形でやってきた。起こっていることをすごく意識し、反応している私。そのことがますます症状を悪化させる・・・
ああ、このパターン知っていると思い、落ち着かせるためにアーナパーナ瞑想の呼吸を強めるが、中々上手くいかない。このこととは長い間付き合ってきたので、少しは落ち着いて起こっていることに客観的になれるのだけれど、やはり完全に手放しきれない私がいる。また、このパターンがこの段階で出てきたということは、きっとこれはお試しなのだろうなということもどこかで分かっていたりする。こうやって、それぞれの弱い場所にそういうものは現れてくるのだ。それも分かっている。
それなのに、だ。もがいて何とかしようとする私もいる。そこから何とか脱することを考えている私がいる。

その日の午前中は瞑想どころではなかった。あまりに困り果てた私は、先生に相談することにした。もちろん先生に話したからといってどうなるわけでもないのだけれど、その時はそう思ったのだ。それをマネージャーに相談すると・・・今日は先生とお話できる時間がないということ。そしてマネージャー自身も彼女の判断では何ともできませんと言われた。何かそこに解決の糸口があるかも知れないと思っただけに、残念だった(涙)。

そして、午後からのグループ瞑想。この中で座るのは・・・と思ったが覚悟を決めて座った。
そしたらその瞬間、そうだったのかと涙があふれ出た。そう、私に必要なのは全面的な克服、というか受容だったのだ。今目の前で起こっていることをもう全面的に受け入れた瞬間、ああこのことを知るために起こっていたのだと言うことがわかった。このことを経験するために必要だったと言うことを。そしてその時間はもう涙が止まらなかった。大きな気づきがそこにはあった。体験を伴った気づき。そして、その間症状は不思議なことにずっと止まっていた。

このことはその時間以降すべて解決したわけではなかったけれど、起こっていることを少しずつ許し、受け入れれるようになっていった。そしてヴィパッサナー瞑想が始まった。この瞑想法は頭の先から足の先までひとつづつ感覚を追っていくというもの。そしてそれに慣れてきたら、履くように上から下まで、そして下から上へとなぞっていく。私は身体の感覚は結構あるほうだと思っていたのだけれど、一番初めに行ったとき、やはり感じない部分があった。意識はそこに持って行っているのに、感じられないのだ。でもここで大切なことは、感じられても、感じられなくても、反応があっても、なくても、認識したら、淡々と次の場所へと移っていくということだ。そこにとらわれず、ただ認識し、次の場所へと行く。ただそれの繰り返し。

何でもないようなこのことが、またある深い段階への気づきへの新たな始まりだった。
by bodyuniversal | 2010-03-09 23:51 | ヴィパッサナー | Comments(0)
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